2012年3月21日水曜日

45歳になりました

20日で45歳です。
19日に久々に2ちゃんのオカ版のぞいてみたら、「20日に大災害が来る!!」とか騒いでるスレがあって、その根拠が「春分の日は地球の地軸の傾きが23.4度、垂直90度からこれを引くと66.6度、すなわち獣の数字666だ!!」な、なんだってー!!
…俺はダミアンかい。



つーちゃんからの誕生日プレゼント、エステーのエアーカウンターでさっそく放射線測定してみました。
スイッチを入れ、床から1mぐらいの高さで手で持ってじっとしているだけですが、放射線量を平均して算出するので、線量の低いところでは測定完了まで5分ぐらいかかります。
何もせずじっと5分待つというのはけっこうダルい。
いいかげん飽きてきたころに測定完了。
仕事場の線量は毎時0.14マイクロシーベルト(+−20%)でした。


>銃夢BBS
> Ivanさん
佐藤秀峰インタビュー:マンガ業界の自主規制とマンガ家の反抗 <前編>
佐藤秀峰インタビュー:漫画業界の自主規制と漫画家の反抗 <後編>


記事読みました。

僕はパンチラ描けとか言われたこと一度もないな。
企業ロゴの件も、小学館で描いた「未来東京ヘッドマン」でNHKって出したけど特に何も言われなかったし。
(今確認したら擬音がロゴにかかってた…そのせい?)

担当編集者の考え方によるところが大きいんじゃないかと思うけど、もしも、僕が「パンチラ描け!」とか言われたらどうしたろうか?
「なにごとも経験だから、いっぺんぐらい描いてみるか」とか思って、調子に乗って描いたかもな〜。
でも、必然性もないのにパンチラ描くのはやっぱりいやだな。
…よく考えてみたら、僕の作品にはスカートはいた女性キャラがほとんど登場しないではないか。

企業ロゴに関しては、特別こだわりがないので、変えとけと言われたら変えるかもね。

佐藤先生のケースほどヘビーではないけど、僕も「クレームがきたらお前に責任がとれるのか」ってのは集英社との話し合いの席で言われたな。
僕は「作者が自分の描いた作品の責任を取るのは当然だろう!!」って言ったけどね。

だけど表現は誰かを傷つける可能性のあるものだということを表現者は覚悟しなければならない。
では誰かを傷つける表現は「悪」として消え去るべきなのか?
ちがうな。
見る人の心に触れる表現というものは、なんらかの意味で人の心に傷跡を残している。
だからこそ人の心に残り、心を揺り動かす。
インパクトする。
それがトラウマとなるか、感動となるか、程度の違いにすぎない。

誰の心も傷つけない人畜無害な表現は何も残さない。
多種多様な表現物の中で人畜無害な表現物はあっていい。
僕はその存在を肯定する。
しかし、誰かを傷つける表現もその存在が保証されるべきだ。
出版社による過剰な自主規制は表現の多様性を失わせる。

…みたいなことを集英社との会談でも言いました。
まあ作家側の言い分なので、出版社としては看過できないところもあるんでしょうね。

しかし佐藤先生正直だな。
秀峰先生:「でも面白いって何なんでしょうか。僕はその答えを持っていないんです。」
いっぱしのプロのマンガ家がこういうことを言うのはなかなか勇気がいるんじゃないかな。
実は僕も「面白い」がよくわからない。
自分で他人の作品を読んでいる時ははっきりと実感できるし、どこがどう面白いのか言葉で説明もできるけど、いざ、自分で描くとなるとまるで雲をつかむような話になる。
高校生頃からそのことに本腰入れて考え始めて、ずーっとあれこれ悩んでやっているうちに今のような作風になった。
自分なりの理想とするマンガの形があり、理論があり、伝えたいことがあり、こだわりがあるが、では「それが面白いことなのか」と問われると、ううむと考えこんでしまう。
実は今の絶不調も、この問題と無関係ではない。
おそらく、ある地点で踏ん切りをつけないと前に進めないと理解している。
さて、どうしたものか。